異例ずくめの東京オリンピック(五輪)・パラリンピックが幕を閉じた。8月5日、東京都の新型コロナウイルス新規感染者は初めて5000人を超えた。それでも緊急事態宣言下の街にはどこか楽観的な空気が流れた。なりふり構わぬ招致活動で東京開催をセッティングした安倍晋三前首相、言葉足らずの菅義偉首相はこの1年で次々と政権を投げ出し、リーダーの使命があらためて問われた。誰のため、何のための大会だったのか-。パンデミック下の“祭典”を識者に検証してもらう。

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いろんな問題が起きた五輪でしたが、引き続きしつこく問い続けるべきです。つまり、「(福島の原発は)アンダーコントロール」だとか「(7月の東京は)温暖で理想的な気候」だとか、明らかなうそをついた上に、招致を巡る贈賄疑惑も浮上した、というそもそもの問題です。

「復興五輪」をうたいながら「東京は福島から250キロ離れているので安全」という、被災地を切り捨てる発言もありました。コロナ禍での開催の是非ばかりが問われましたが、うそと賄賂で招致した五輪などやるべきではなかったのです。

旧国立競技場の隣に霞ケ丘アパートという都営住宅がありました。1964年(昭39)、前回の東京大会の際に建てられた、10棟ほどの団地には、多くの高齢者が住んでいました。ところが、競技場を建て替えることを理由に取り壊されました。何十年も住み続けてきた人々は強制的に転出させられ、一帯では再開発が進み、高層ビルが建ち始めています。終の住処(ついのすみか)だと考えていた高齢者の住まいをつぶし、コミュニティーをぶっ壊したところに、お金を持つ人々がやって来る。

うそついてお金かけまくって街を壊して、どこが「多様性と調和」なのでしょう。「これは金もうけのための五輪です」と正直に言ってくれた方が、まだすっきりします。

パラリンピックも含めて1カ月ほどのお祭りのために、これだけ乱暴な行為を繰り返しておきながら、開催を疑問視する声が大きくなるまでに時間がかかったのは、メディアの責任でもある。新聞社の多くが大会のスポンサーですから、開催が近づくにつれ、五輪を肯定的に捉える記事の割合が上がっていった。閉会後、感動物語を手厚く載せ続ける、ということはさすがにしませんでしたが、批判、検証が弱い。

「コンパクト」と言っていたのに何兆円もかけたことなど、検証すべき課題はいくらでもあるし、政治家や大会幹部らは、検証する気も責任を取る気もさらさらない。メディアはしつこく追及して欲しい。河村たかし名古屋市長の「金メダルかじり問題」より、よほど重大です。

今大会は、コロナ禍での開催ということを差し引いても、五輪という興行自体が、もはや成立し難いことが明らかになりました。米国ではテレビの視聴率が伸び悩み、スポンサーにも、五輪に乗っかるのってどうなの、と疑問を持つ企業が出てきた。経済効果といっても、五輪でもうけた人・企業は限られます。今回、そういう仕組みがはっきりとバレてしまった。ただでさえ、立候補する都市は少なくなっています。

為政者が「なんだかんだで乗り切りました」と言い張っている現状にありますが、どうでしょう、今大会、ポジティブに語れる面が個々の選手の活躍以外に少しでもあったでしょうか。何事もなく開催されていたら、こうして自分のような人間が、開催後まであれこれ言う機会はなかったかもしれません。「五輪どうだったの?」と感じる気持ちが個々に残っているなら、それがポジティブと言えないこともない…。もちろん、皮肉です。(聞き手=秋山惣一郎)

◆武田砂鉄(たけだ・さてつ)1982年(昭57)東京都生まれ。出版社で編集者として勤務後、14年秋からフリーに。近著に「マチズモを削り取れ」(集英社)。TBSラジオ「アシタノカレッジ」金曜パーソナリティーを務める。

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